久々のつらつら日記

知り合いの再婚話を聞いた。

今年に入って3人目になるだろうか。

なぜみんな再婚するのか。

いや、なぜ再婚できるのか の方が正しいかもしれない。

なぜ私はしないのか。

いや、なぜできないのか の方が正しい気がする。

する気があるのかすら、自分でも分からない。

わざとする気がない振りをしているのかもしれない。

本当はしたいのかもしれない。

そんなことを考えてて思ったのが、離婚という経験は人生の中で挫折といえるのかといえこと。

私は大きな挫折を味わったことがない気がする。

幸せなことに、死にたいくらい悩んだりする出来事はなかったし、高校や大学の受験も運良く通ったし、就職活動もまともにしたことないのに就職できてきたし、大きな病気といえばインフルエンザくらいで手術骨折鼻血の経験もなく、平和に生活してこれている。

もしかして私にとっての大きな挫折は離婚だったのか。

そんな離婚も笑い話にできるほどで、ようがあれば元旦那さんとも連絡取れる

自分でも気づいてないだけで、自分自身で結婚に向いてないダメなやつ というレッテルを貼っているのか?

今の時代、離婚経験者なんて3歩歩けば…いや10歩歩けば(にしておこう)出会えるほどだが、私の中ではかなり大きな傷になっているのかもしれない。

「かもしれない」と他人事のように書くのは、自分では全くそんな気はしてないのだ。

仮に、大きな傷になっていると仮定してみよう。

まぁ昔から男性を見る目はない方なのと、意外とカタイ所があるので、離婚したことで自分に対する評価はかなり下がっている。そもそも自己肯定感は低い方なので地下5mくらいになっただろう。

我慢が足りない、いい妻ではなかった、結婚に向いてない、人と生活するのは難しいなどなど、確かに離婚当初は色々思ってた。

そんなこと今更思っても仕方ない、次にいかそう!と思ってはいても、心の奥底にこびりついたままになっているのかもしれない。

となると、再婚を夢見るのならば出会いがないとかなんとか言って外部に原因を無理やり見つけるよりも、自分の潜在意識を書き換えなければ、チャンスの神様がやって来ても気づけないのではないか。

気づけても通り過ぎてからでは遅い。ラグビーの選手のようにいつでもタックル行ってやるぜ!的な構えでいないとチャンスはスルッと通り過ぎてしまうのではないか。

もしかしたら、今までも通り過ぎてるのかもしれない。

しかしながら、そんな心意気でいる必要があると考えてる今でも、そもそも私に再婚を夢見る気持ちがあるのかという一番大事な部分に戻るのである。

今、楽やん?

特別困ってないやん?

と、自問自答の答えが出てしまう。

きっと、これからの未来、独りでいる恐怖を論理的に話す人に出会い、恐怖心から焦るか、

結婚する幸せを惚気けながら熱く熱く語ってくれる人が現れるか、

一緒に年老いたいと思える人と運命的に出会うか、

そんなことがないと焦りもしなければ必要にも思わないのかもしれない。

そんなことはもうどうでも良くて

今回の再婚するというおめでたい話で気づけたのは

「離婚した自分はダメなやつ」とどこかで思っている自分がいるかもしれないということだ。

これはもう自分自身の問題である。

潜在意識の書き換えやブロック解除や自己肯定感を高める努力が必要なのか。

いや、いらない。

私にとってはなんの解決にはならない。

こうやって自分の思考と向き合うことが解決の糸口になると分かっているから。

あれ、まてよ。

そもそも解決を必要としているのか。

自分のことって自分が一番わからないってほんとだね。

そんなつらつら。